概要

「第四の道」は「高次の自己」の実現へと導く精神的な進化の教え、一つの「道」であり、その起源は古代の秘教的(エソテリック)な伝統に由来している。「第四の道」は、20世紀前半にゲオルギイ・グルジェフとその生徒、ピョートル・ウスペンスキーによって最初にロシア、その後は欧米へと伝えられた。彼らは、古代の秘教的伝統を当時の西洋人にふさわしい言語で再解釈したのである。

後に、グルジェフが東方からもたらした「システム」として人々に知られたこの知識体系は、実はグルジェフのはるか以前から、異なる時代と場所において秘教的知識として人々に伝えられていた。

しかし一般に、こうした様々な秘教的伝統は、時代や環境の条件に応じて外見と表現形式が異なっており、伝える意味もそれぞれ異なると考えられている。これに対して当サイトでは、ウスペンスキーがその著書『第四の道』で語った「心理学的思考」と「秘教的思考」に基づき、こうした伝統が伝えた知識には「内的な意味」があり、一見互いに無関係なその意味は内的に関連しているという理解を支持している。これらの「内的な意味」は、時と場によらず常に同じテーマやメッセージを指し示しているのである。

当サイトでは、こうした内的な意味による知識を、人間の主観的な条件によらない「客観的知識」と理解している。「論理的思考」による常識的な時間と空間の制約を超えたこの注目すべきスケールからシステムを見るとき、私たちは真理のひらめきを一瞥できるだけでなく、グルジェフという偉大な教師の業績を新たな視点から理解することができる。そのとき、私たちはグルジェフを、秘教的伝統の知識から内的意味を抽出し、20世紀にふさわしい表現形式で人類に示した高次の世界の「代弁者」として解釈できるのである。

「第四の道」は自己想起、自己知識、個人による確証、そして苦しみの変容などの概念に基づく実践的なシステムである。その教えは、現世的な「低次の自己」の抑制、精神修行のワーク、および「神的なるプレゼンス(「今、ここに在る」意識状態)」の実現などの原理を中心に展開されている。これらの原理は、さまざまな秘教的伝統の根幹にあるテーマである。 「神的なる無言のプレゼンス」に達するのは、人間にとって最も偉大な奇蹟であり、多くの秘教的な伝統はこの同一の「究極の真実」をそれぞれ独自な仕方で表現しているのである。

当サイトで示している引用と画像は、広範な文化的伝統や歴史に見られる様々なスピリチュアリティの相互関係について触れており、また、第四の道が多くの秘教的な伝統に関わっていることを示している(その中には日本における秘教的伝統も含まれている)。以下では、第四の道の教師たちの言葉とさまざまな秘教的伝統の教えを並べて紹介し、その間に見られる一致を示す。

第四の道によれば人間は普段、「眠りの意識状態」の中で生きている。

グルジェフ:人間は眠りの状態で生き、眠りの状態で死んで
いく。

『テンペスト』シェイクスピア:これはなんと奇妙な眠りではないか。目を大きく見開いたままで、眠っているのである。 立って、歩いて、話しながらも、 ぐっすりと眠り込んでいるのだ。

第四の道は、人間は自己想起によってこの眠りから目覚めることができると教えている。

グルジェフ:いつでも、どこでも、自己を想起しなさい。

グジュバーニ (12 世紀、スーフィーのマスター):一息ごとに「現在に存在」しなさい。一呼吸の間さえも、自分の注意力をさまよわせてはならない。いつでも、どこでも、自己を想起しなさい。

第四の道が語る、いわゆる「狡猾な人」が覚醒のために摂取する「錠剤」とは、小さな自己想起の努力を象徴している。

グルジェフ:ヨーギのように一日中精神を鍛錬したり、僧侶のように一週間祈り続けたり、ファキール(苦行僧のように一ヶ月間自分の身体を苦しめる代わりに、 「狡猾な人」は時間を無駄にせず、必要なすべての物質が含有されている小さな錠剤を用意し、それを飲み込むだけで必要な結果を手に入れる。

劉一明(18、19世紀、道教の老師):古代の仙人たちは、根本的に完全で啓発された真の意識の本質をたとえるために、「仙丹」という言葉を使っていた。一つの陽から成長し、統一された純粋な六艾の陽へと徐々に達し、 曖昧さから明確さへと移りつつ、仙丹は自然に発展していく。

第四の道は、自分の中に月を作成することについて語る。

ウスペンスキー:「自分の内面に月を創造する」というシステムの表現がある。これは象徴的な表現であり、図や象徴的な表現という形でのシンボルは非常に明確な目的のために使われる。



道教の伝統 - 兪琰(13世紀の道教の老師):「仙丹」の内的な開発とその「火法」の時機は、月の満ち欠けと何ら違うことはない。

第四の道は、人間には統一性がないと教えている。

グルジェフ:人間には個体としての<私>がない。その代わりにあるのは、分割された小さな数百、数千の<私>であり、多くの場合に、これらの<私>は互いのことを全く知らないのである。

ダルカウィ(18、19世紀、スーフィーのマスター):一万もの世界があり、それらすべての世界がひとりの人間の内面に存在しているが、人間がそれを意識することはない。

第四の道では、人間に統一性がないことを示すもう一つの方法として人間を家にたとえている。

グルジェフ:人間は、召使いが沢山いるのに主人も執事もいない家に喩えられる。まず、執事の到着にそなえて家の準備をすることができる。そして、その執事はまた、主人(高次のセンター)の到着にそなえて準備することができる。

『太乙金華宗旨』(黄金の華の秘密、道教の瞑想指南書):天の心は家のようなもので、光が家の主人である。 主人が寡黙で穏やかであれば、あたかも男女の召使が進んで主人の命令に従い、各自の仕事につくようなものである。

第四の道ではまた、人間を馬車、馬、馭者にたとえている。

グルジェフ:人間は4つの部分から構成される複雑な組織であり、この4つの部分はつながっているか、つながっていないか、あるいはつながりが不良な状態にある。馬車は心棒によって馬につながれ、馬は手綱によって馭者につながれ、馭者は主人の声によって主人とつながっている。しかし、馭者は主人の声を聞いてそれを理解しなければならない。また、馭者は馬を御する方法を知る必要があり、馬は手綱に従うように調教されなければならない。

『カタ・ウパニシャッド』(ヒンドゥー教の聖典):自己を馬車の主人として、身体を馬車自体として、分別ある知性を御者として、 心を手綱として知りなさい。賢人は、感覚が馬であり、 利己的な欲望はその馬が進む道だと語っている。

第四の道において、「空想」は自己想起を妨げる大きな障害である。

ウスペンスキー:「自己想起」を妨げるのは、頭の中で絶えず巡っている思考である。この回転を止めれば、おそらく「自己想起」の味を経験できるだろう。 

仏典、清浄道論 第8章、 39話 :厳密に言えば、生物の生命が持続する時間は極めて短かく、一つの思考が続く間しか持続することはない。ちょうど回転する馬車の車輪で、回転が車輪の一点だけで生じ、静止も一点だけで生じるように、まさに同じ仕方で、生物の生命は一つの思考が生じる間だけ持続するのである。

第四の道は、意識的な目覚めには外部からの助けが必要だと教えている。

ウスペンスキー:あなたには指導が必要である。あなたは道を教えられる必要がある。自分ひとりで道を見つけることはできない、誰一人として、自分でそれを見つけることはできない。通常の人間の状態では、道を教えられる必要があり、自分でそれを見つけることはできないのである。

『フィロカリア』 (ギリシア正教の修道僧による文献): 天からの助けを受けられないかぎり、人の準備と献身だけでは不十分である。同様に、私たちの側に献身と準備がなければ、天からの助けには益がない。このため、すべてを神にまかせて自分は眠り込んでしまったり、あるいは熱心に努力しながらも自分の努力だけですべてを 獲得できるとは決して考えてはならない。















頭上にヒエログラフ文字「カー」
を掲げて歩むファラオ
(プレゼンスの状態を持続させる「執事」)
(紀元前1750年、カイロ、エジプト博物館)





















心理的な「眠りの状態」で地下鉄に乗る人々
(各人が空想の状態にある)
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不死の仙薬を手にする
中国の癒しの神、李鉄拐






二世紀の道教書『周易参同契』による、
三十日間の月の周期に関連付けられた六卦
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複数の<私>からなる解剖学的な頭部
フィリップ・バルビ作)



エジプトの太陽神ラーの日輪を
頭上にいだくホルス



戦士アルジュナに助言するクリシュナ
『バガヴァッド・ギータ』





運命の輪(15世紀、オランダ)





天使に導かれ、牢獄(眠りの状態)
から解放される聖ペテロ
(サルヴァトーレ・ローザ作、17世紀)