低次の自己

目覚めるための意識的な闘いは、自らの内にある「低次の自己」に気づき、それを抑制しようとするワークから始まる。「低次の自己」の世界は、空想の状態(抑制できない心の活動)、幻想上の苦しみ、そしてあらゆる物事への過度の執着(自己同一化)を特徴としている。「低次の自己」は私たちの内面にあるひとつのまとまった存在ではなく、むしろ私たちの内面にある態度や夢、機械的な習慣、動物的な側面などの集合体だと言える。秘教的(エソテリック)な伝統が「低次の自己」を表すひとつの方法は「髑髏」である。

『フィロカリア』 僧カリストス:心の眠りは、まさに本当の死のようなものである。

「低次の自己」は、「高次の自己」を開発することにほとんど関心を抱いておらず、むしろ「神的なるプレゼンス」の意識状態に敵対している。私たちが「現在に存在」して、「プレゼンス」の意識状態を持続させる積極的な努力をするとき、「低次の自己」は、しきりにこの努力を止めさせようとする。「現在に存在する」意識的な努力で必要となるのは、「低次の自己」から生じる、絶え間ない無制御な空想の流れに逆らう闘いである。



グルジェフ:あらゆる機械的な習慣、嗜好、弱点は人間の意識的な「自己想起」に敵対している。
イブン・アル・アラビー(12世紀、イスラム神秘主義者):自省、自ら行いへの重視、そして寛大なる神への感謝を妨げる三つの危険がある。最初の危険は無意識、無頓着さである。二つ目の危険は、自分のエゴまたは「低次の自己」からほとばしり出る好みと欲望の洪水である。三つ目の危険は悪い習慣であり、実際には自分を機械的にするあらゆる習慣である。
クリスティーナ・ロセッティ(19世紀の英国詩人):ああ神よ、哀れな声で安楽休息と喜びを切望する臆病者の私から私自身をお守りください。 私自身が自分の大敵であり、自分の最も空虚な友であり、自分の最悪の仇であり、私が進むいかなる道でも足枷となるのです。
アンジェラス・シレシアス (17世紀のカトリック神秘家):その愛と喜が遍く存在している神(高次の自己)は、あなた(低次の自己)が不在でない限り、あなたを訪れることはできない。
ハーフェズ (14世紀のイスラム神秘詩人):身を引け、ハーフェズよ。邪魔をしているのはお前なのだ。












自己想起の努力を絞め殺そうとする
低次の自己(「死の舞踏」、15世紀、
ベルンのミュンスター作、スイス)



牛(低次の自己を象徴)に従っている
人(紀元前1280年、セティ王の墓、
王家の谷、エジプト)



死者を裁く神格、閻魔大王(ヤマ、
低次の自己を象徴)、人間の6つの心理的
状態を表す輪廻を手にしている
(チベットのタンカ)