低次の自己:否定的感情

否定的な感情は、「神聖なるプレゼンス」に達することを妨げる大きな障害である。怒りや苛立ち、恐怖、不信、嫉妬、判断、自己憐憫などに心を奪われるとき、その瞬間の現実はあたかもヴェールで覆われたように見えなくなる。また、否定的感情は、「(否定的になっている)私自身」という強い架空的な感覚を生み出し、「低次の自己」の本性を私たちから隠してしまう。自分に生じた否定的な感情を他人や出来事のせいにすると、否定性の真の原因である、自分の誤った「態度」に気づくのは不可能になる。しかし、こうした自分の態度は、ワークによって正すことができるのであり、肯定的な態度を生み出すことで、否定的感情の背後にある強烈なエネルギーを抑制し、変容できるのである。

ウスペンスキー:否定的感情の表出は常に機械的であるため、どんな場合もそれは有益ではありえない。これに対して、否定的感情の表出への抵抗は意識的である。否定的感情をある程度まで制御できる人だけが自己想起のワークを行い、良い結果を得ることができる。
イブン・アル・アラビー (12世紀、イスラム神秘主義者):自分の怒りを抑えると、あなたは悪魔を激怒させることになる。なぜなら、あなたは自分が持つ動物的な側面をおとなしくさせ、征服したからである。

多くの秘教的(エソテリック)な伝統で、ライオンは「低次の自己」の感情を象徴的に表している。特に、咆哮するライオンは強い否定的感情を表している。「否定的感情を表出しない」ことは、その感情を「現在に存在する状態」(プレゼンス)へと変容するための最初のステップである。「私」という感覚を否定的感情そのものから分離すると、その感情の背後にある強力なエネルギーは、プレゼンスという炎を燃えたたせる燃料にすることができる。自分の否定的感情を正当化せず、むしろ落ち着きを取り戻して、自分の内面で循環するその否定的感情を観察することは、既にこの不安定なエネルギーの変容の始まりであり、その方向を変えることにつながるのである。

『トマスによる福音書』 (ナグハマディ文書):自らの獅子を食い尽くす人に祝福あれ。そして、自らの獅子に食い尽くされる人に災いあれ。

『新訳聖書』、ペテロの手紙 第一、5章8節 :身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っています。

『フィロカリア』、隠遁者エヴァグリオス:私たちはかつて、悪意に満ちた悪魔に襲われた一人の聖職者について話をきいたことがある。彼が祈りのために手を上げるやいなや、この悪魔は獅子に姿を変え、前脚を高々とあげて、祈っているその顔に鋭い爪をかけたのである。しかし、この聖職者は屈しなかった。いつもの祈りをすべて終えるまで、決して手を下げなかったのである。.

『アラビアン・ナイト』:彼は剣を手にとってライオンに突進し、その眉間に一撃を加えた。

『西遊記』、第29章:「菩薩様よ…」猿(孫悟空)は言った。「奴は、あなたの宝座の下から姿を現わした碧い毛をもつ獅子ですよ」。菩薩は呪文を唱えて叫んだ。「真理へと帰れ、獣よ。何を求めているのか?」 するとようやく魔王は元の姿へと戻った。文殊菩薩は化物の上に蓮花をおいて飼い慣らすと、その背に座した。






ライオンの洞窟に投げ込まれたダニエル
(ルーベンス作、17世紀)



ライオンを押さえ込む女(ハート)、
タロットカード11番「力」



蛇とライオンを退治する
ギルガメッシュ(執事)
(サルゴン2世の宮殿、イラク、
コルサバード、紀元前725年、
現在はルーヴル美術館所蔵)


獅子の上に座す文殊菩薩