ワーク:戦士としての「執事」の開発

真理と覚醒に向けて努力するのは、私たちの内面世界のごく小さな部分にすぎず、通常それ以外のほとんどは「低次の自己」が占めていると言える。この小さな意識的部分はワークを始める当初は「低次の自己」よりもはるかに弱く、覚醒への努力には不十分であるため、さらにこれを育成してワークにおける「執事」を内面に開発してゆく必要がある。「執事」は、「高次の自己」(主人)が放つ光を鏡のように反映するはたらきをする。この内的な成長の一つの側面は、眠りのヴェールと戦い、警戒してプレゼンスの状態を守るための道具や武器を使う能力を身につけることである。古代エジプトではこの執事のレベルは「王(ファラオ)」と呼ばれており、他の秘教的(エソテリック)な伝統では「戦士」と呼ばれていた。戦士としての執事を象徴するのは「剣」である。


ウスペンスキー:ワークが意味するのは心の摩擦、「イエス」と「ノー」の間の葛藤、ワークを望んでいる部分と望んでいない部分の間の対立である。私たちの内面には、ワークを望んでいない部分が多くあるため、ワークを始める瞬間からその摩擦が始まるのだ。

『バガヴァッド・ギーター』(ヒンドゥー教の聖典):天の扉を開くための戦いがある。そのような戦いにおもむく運命に生まれた戦士は幸いである。

釈迦牟尼:賢者には智恵の剣で妄想と戦わせなさい。

『新約聖書』 マタイによる福音書、10章34節:地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、剣をもたらすために来たのである。

植芝盛平(合気道の創始者):道に従う者が振るう剣の透徹した輝きは、彼自らの魂と体の奥深くに巣くう邪悪な敵を討ちはたす。

スーフィーの箴言:心のなかで神を想起すること、それこそ我々が敵と戦うための剣である。 

『中和集』 <慧剣歌>、李道純(13 世紀の道教の老師):
古来、至人は剣の奥義を伝え、
それを操る真の力が、完全に、
まことに揺るぎなく守られてきた。

一陽」が戻った時点で作業に取りかかると、
最初に「六陽」が炉のふいごを動かし、
つづいて「六陰」が、やっとこと金槌をはたらかせる。
火功を終えれば、この剣ができあがり、
最初の完成で稲妻のごとき閃光を放つ。

この尊い剣には基本的に形式がない。
その名前が定められた所以は、
それが発揮する精神的な効果のためである。
道(タオ)の学習と真理の修行はこの剣に依っており、
この剣がなければ、道の達成は困難である。






剣を振りかざすハートのキング
(感情センターの知性パート)





剣を背負うキリスト(執事を象徴)
(イタリア、ラベンナ、5世紀)





智恵の利剣を構える不動明王
(執事を象徴)
(運慶作、12世紀、神奈川県浄楽寺)





 七支刀と呼ばれた六叉の鉾がある刀、
奈良県天理市の石上神宮