ワーク:技巧と鍛練 

さまざまな秘教的(エソテリック)な伝統において、「手」と「足」は、人間が眠りの状態から「神的なるプレゼンス」の状態へと意識を高める方法を象徴している。手や長時間挙げたままにすれば筋肉はほどなく疲れてしまうだろう。プレゼンスの状態への働きかけもこれと同じであり、いわば筋肉を訓練する努力のようなものだと言える。つまり、ほんの短時間であれば容易に行うことができるが、長く維持しようとすればきわめて困難となる。しかし、鍛錬すればするほど、その状態を長時間にわたって維持できるようになる。


眠りから身を起こす(覚醒する)ために頭をもたげるオシリス(執事)
(第26王朝、紀元前664~525年、カイロ、エジプト考古学博物館)

生徒の質問: 時々偶然に自己想起の状態が起こりますが、私は努力によって その状態に達することができません。
ウスペンスキー: 努力がなかったとしたら、その状態は偶然に起きなかっただろう。 だから、その状態は本当に偶然だったとは言えない。努力をするほど、感情的な、理解をもたらす自己想起の瞬間が偶然に起こるだろう。しかし、それはすべて以前の努力の結果なのだ。
『エジプトのピラミッド・テキスト』:王は、梯子の主である神の指に乗って天国へと現れ出た。
『旧約聖書』 詩篇、144章1節 :わが岩なる主は恵むべきかな。主は、いくさすることをわが手に教え、戦うことをわが指に教えられる。
ルーミー(13世紀、スーフィーの神秘詩人):彼は執事であり、その手は神の手である。
『フィロカリア』、ダマスカスのピーター:私たちには手と足が与えられており、神が肯うような仕方でそれらを使うことができる。
『般若経』:菩薩は「般若波羅蜜多」(彼岸- プレゼンス- に至るための知恵)の究竟の知識を、十種類の浄化と癒しの活動、三十七本の悟りの手足、四つの無形の領域と、六つの形態の優れた知識へと展開する必要がある。

また、「足」が象徴するのは確固たる努力、そして悪魔のような「低次の自己」を抑制する能力である。

蛇とライオンを踏みつけているキリスト(ラベンナ、5世紀)




ルーミー(13世紀、スーフィーの神秘詩人):「彼」以外のすべてのものを足で踏みつけよ。これが「最愛なる者」に達する手段である。



『エジプトのピラミッド・テキスト』:ホルスは敵をあなたの足元に押さえ込んだ。そうすることで、あなたが生きられるように。



『旧約聖書』 詩篇、18章37−38節: 私は、敵を追って、これに追いつき、絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。私が彼らを打ち砕いたため、彼らは立つことができず、私の足もとに倒れました。



シャムス・タブリージ (ルーミーの師):「自己」がいる場所はあなたの足元である。

















頭上にヒエログラフ文字「カー」
を掲げるファラオ
(プレゼンスの状態を持続させる執事)
(紀元前1750年、カイロ、エジプト博物館)







千手觀音
(13世紀、宝頂山、大足県、中国)







千手觀音(大阪、葛井寺)











低次の自己を踏みつける持国天
(奈良時代、東大寺戒壇院)


低次の自己を踏みつけて
舞踏するシヴァ神(大英博物館)