低次の自己:空想

「空想」は、人が現在に存在しようとして直面する最大の障害の一つである。「現在に存在する」意識状態(プレゼンス)とは、今この瞬間に、自分自身を意識すると同時に、周囲の環境や物事も意識することを意味している。第四の道では、この状態を「注意力の分割」と呼んでいる。空想の状態にあるとき、人は心の中で絶え間なく循環する思考と感情に気をとられて、注意を分割することができない。右側に示すタロットカード「運命の輪」と15世紀のオランダ絵画では、どちらも動物が輪を回転させている。これらの動物が象徴しているのはある瞬間に生じる思考や感情、感覚であり、輪は回転し続ける空想を象徴している。通常人間は、一時的にしか続かないこうした思考、感情、感覚を自分の不変の<私>だと誤って思い込んでいる。私たちは、あたかもある天候が「起こる」のと同じように、こうした思考や感情、感覚が自分の中で偶然に「起こる」ということを理解していない。実は、心の中で起きるこのような絶え間ない声は、単に制御されていない心の活動なのである。


ロドニー·コリン:空想は精神の排泄物を表している。空想とは、イメージのくず、過去の知覚の副産物を続けて生み出すことである。こうしたイメージのくずは絶えず無意味に脳を出入りし、流れている。ある種の夢を見ているようなこの意識状態は、実は、昼も日も絶え間なく続いている。

多くの秘教的(エソテリック)な伝統では、「低次の自己」は蛇によって象徴されている。手足を持たない蛇は、(プレゼンスへと)立ち上がれないからである。また、蛇は空想も象徴している。一連の空想は、蛇の頭にたとえられる罪のない思考から始まり、最後には蛇の長い胴体のように続いていくからである。

『第四の道』 第三章、ウスペンスキー:あなたの内部には自分を表出しようとする「虫」がいる。その虫が自分を表出すれば、気分が楽になる。しかし、表出するほどその虫は強くなり、あなたはますますその虫の言いなりになってしまう。

-- 古代エジプトのテキスト、『神々の伝説』:失せよアペプよ、汝は太陽神ラー(プレゼンス)の敵なり。とぐろを巻いた蛇なる汝は、手足がなく、腸の形をなし、体は直立できない。

『フィロカリア』、ジョン・カシアン:思考が始まる蛇の頭が入るのを我々が許さなければ、残りの胴体が入り込んでくることはない。

シャンカラ (9世紀、インドのヴェーダーンタ哲学者):エゴ(自我)は強く猛毒の蛇である。教典に触発された賢人は知識の剣で蛇の三つの頭を切り落とす。

ルーミー (13世紀、スーフィーの神秘詩人):蛇はあなたの動物的な自己のことを指している。静けさと柔和さ、そしてただそう望むことだけでこの蛇に対抗できるなどと考えてはならない。

右の図で示す「蛇と梯子」はインドで発祥したゲームであり、ヒンドゥー教の教えを子供たちに教えるために考案されたとされている。その教えとは「因果応報」である。蛇は悪徳を表し、梯子は美徳を表している。美徳は「神的なるプレゼンス」に達するための道具と技法を内的に意味しており、悪徳の内的な意味は、「低次の自己」がプレゼンスの状態を妨げようとする企てである。参照: 内的なワークの道―梯子








輪を巡って一番上にきた
動物がその瞬間の「王」となる
(タロットカード10番 「運命の輪」)





頭の中で動物が空想を回転させる状態
(「運命の輪」、15世紀、オランダ)





蛇(空想)に誘惑され、楽園
(プレゼンス)を失うアダムとイブ
(マソリーノ作、1430年、イタリア)