高次の自己

「高次の自己」をもたらすことは、すべての主要な秘教的(エソテリック)な教えと宗教的な教えにおける隠された目的である。

「高次の自己」は私たちの「真の自己(セルフ)」である。
それは私たちの「神聖なる本性」である。
それは「内なる神」である。
それは「不死」である。

「プレゼンス」の状態をより頻繁に、より深く経験するほど、私たちの「真の自己」はよりはっきりと現れてくる。何世紀にもわたって秘教的な文献は、数多くの形で「高次の自己」の経験を説明してきた。これには例えば、エジプトの太陽神「ラー」、仏教の「涅槃」、ユダヤ教とキリスト教の伝統における「エデンの園」や「安息日」、東洋の「第三の眼」、禅の「悟り」、スーフィー文学の「最愛の者」、現代における「本当の<私>」という概念などが挙げられる。最後に示した「本当の<私>」という概念は、世俗的で機械的な生における「複数の<私>」と対照となる概念である。


『第四の道』、ウスペンスキー:恒久的な<私>はすぐには生じない。架空の<私>がすべて少しずつ消えていき、主に「自己想起」によって、本当の<私>は徐々に強くなっていくのである。
グルジェフ:「アストラル体」と呼ばれるものは融合、つまり非常に困難な内的ワークと苦しい闘いによって獲得される。 人間はアストラル体を生まれつき持っているわけではなく、アストラル体を獲得できるのはごく少数の人にすぎない。 
ヘルメス・トリスメギストス(神秘思想と錬金術で想定される神人):神の慈悲により、物質に依らないある形が私の内に生じた。 そして、私は自分を超え出て、不死なる体に入った。
劉一明(18、19世紀、道教の老師):精神の「胚」は形がなく、非物質的である。それは「胚」と呼ばれているが、実際に目にすることはできない。「胚」という用語はただ、真の意識が固化、安定化して、飛散しないことを説明しているにすぎない。 
ルーミー(13世紀、スーフィーの神秘詩人):プレゼンス(現在に存在する状態)は、私たちが「最愛の者」と呼んでいる存在である。
『ウパニシャッド』 (ヒンドゥー教の奥義書):輝きつつも隠れたる「自己」は心に宿る。それは愛の源泉であり、思考ではなく、愛を通して知ることができる。
イブン・アル・アラビー 」(12世紀、イスラム神秘主義者):魂と神性の一体性という神秘が明らかになるとき、あなたは自らが神に他ならないと理解するだろう。そして、自分のあらゆる行為は神の行為であり、自分のあらゆる属性は神の属性であり、自分の本質は神の本質だと理解するだろう。

















解脱して空となった覚者
(ジャイナ教、17世紀)










道教における「高次の自己」の図










同一の顔を持つキリストと神
(1450年、ルーブル美術館)
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