内的なワークの道

秘教的(エソテリック)な文献や資料の多くが「世を捨てる」、「隠者になる」、「修道院に入る」ことを示唆している。しかし、実際の内的なワークでは、これらの象徴的な言葉を文字通りに行う必要はない。むしろ、こうした考えの内的な意味は、「低次の自己」の空想的な内面世界を生み出している多くの思考や心の乱れから自己を分離すると同時に、生のあらゆる状況で「現在に存在する」努力を深めてゆくことにある。ただし、この目的を達成するには、知識だけでは不十分である。意識的な覚醒の技法は、一貫した適用と実践を通して開発していかなければならない。精神の道を修めていくことは、「神的なるプレゼンス」を促す徳に従って生きるよう学ぶことを意味しているのである。


ウスペンスキー:道という考えを理解するうえでの大きな困難は、道は(グルジェフはこの言葉を強調した)生が進行しているのと同一のレベルから出発すると一般に考えられていることにある。これは完全に間違っている。道は別の、はるかに高いレベルから始まるのだ。


『新約聖書』 マタイによる福音書、7章13、14節:狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。


『西遊記』:心を修めれば、大いなる道が生じてくる。


道元(13世紀、日本曹洞禅の初祖):門に入る道を修められるのは、ダルマ(法)を得た師のみである。この道は、経文を研究するだけの学僧は達することができない。









頭上にヒエログラフ文字「カー」
を掲げて「狭き門」(眠りとプレゼンス
の間のしきい)をくぐるファラオ
(紀元前1750年、カイロ、エジプト博物館)


能舞台へと導く「橋懸かりの道」、此岸(眠り)と彼岸(プレゼンス)を結ぶ橋を象徴